高岡高校での講演会を伝える茂木さんのブログ
富山といえば、昨年「脳を活かして生きる」という講演会を開かれていて、これまた茂木さんのブログに講演会の音源が公開されていて、我輩もかつて聞いたことがあります。
で、毎回このブログでも書いていますが、音声で講演会が聞けるっていうことはいいことですよね。高岡高校のこの講演会の質問コーナーの最後の方でお話されていましたが、自分の中で流れる音楽と茂木さんの講演という音楽がハモッて、元気を与えてくれる存在です。茂木さんが薦めていた小林秀雄さんの講演会CDを買って、iPodなどに入れて聞いてみるのが夢ですね。
高校生向けの講演会と言うと、他にも東京学芸大学附属高校での「高校生活と学問」などがありますが、今回感じたことをちょこっとだけ書いてみようと思います。
○「高校時代」とは?
学問を行う「大学」へ行くための準備期間であるという認識は間違っている...と。我輩は中学時代には法律学か宇宙物理学をやるために大学で勉強したいと思っていて、高校に入った当初は「高校は大学に入るための準備期間である」から、きちんと受験対策をしなければならないとそのことばかりを考えていました。しかし、高校でいろいろな科目の授業を聞いたり、東進衛星予備校で有名講師の一流の講義を聞いていると、「科目」というカテゴライズというのは便宜上のものであるのと同時にいろんなことが勉強できるのが「高校」という場所であるということに気づいてきました。それが1年生の終わりの頃の出来事です。
茂木先生の言う、ドーパミン効果で学びのサイクルを確立し切れなかった「数学」や「理科」の成績が思うようにあがらなくなってきたことを理由に、小学生の頃から好きだった「社会」の仕組みの勉強を専門的にやろうと決心して法学部を目指して受験して、志望どおり「法学部」に合格して「法律」の勉強を始めたのが俺の人生です。
高校での不勉強(人生の勉強も含めて...)ぶりは、大学で「法律学」をやっていた時に大きく影響を与えていたんだなぁということを今となっては感じました。法律解釈というのは、その人の人生観がかなりモノを言う世界でして、いかにいろんなものに触れていたかが重要なんですね。高校時代に大して何かを経験してこなかった我輩は、やっぱり大学でも苦しかったです。もっといろんなことをやっておけばよかったなぁ...と。語弊を恐れずに言えば、高校は学問の総合スーパーマーケットみたいな場所だと思います。
分岐点に立った時、
生き方を決めるとき、
ありとあらゆる学問が必要である
学問とは自分たちを豊かにしてくれるものです。
○天才とは努力の仕方を知っている人である
茂木さんの高校時代の同級生で、現在は東京大学大学院法学政治学研究科准教授を務められている和仁陽(わに・あきら)先生のエピソードをこの講演会でもお話されていましたが、高校卒業時の文集で書いた内容が、「ラテン民族における『栄光』の概念について」という内容だそうで...。高校生が書く内容の文章ではありませんね。
和仁先生の例もそうですし、NHK「プロフェッショナル」に出演されている方にも言える話ですが、「天才」と呼ばれる人は努力の仕方を知っている人で、換言すればドーパミン効果で学習サイクルをうまく回すことのできる術を知っている人のことなんだということですね。
偏差値なんて関係ない!!
大学に入るためのみの勉強でない!!
学問の総合性を養える環境に身をおいて、知のスーパーアスリートになれ!!
我輩もね...。






